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「遊猟<いうれふ>」について
お題は万葉集4(巻一)、
「たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野」
口語約すれば、「(たまきはる=枕詞)宇智の広い野原に馬を並べて、(天皇が)朝獲物を追い求めていらっしゃるであろう、その草深い野よ。」といったところか。
舒明天皇の遊猟の折に「中皇命(なかつすめらみこと)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして献らしめたまふ歌」と題詞された長歌に続く反歌。この「中皇命」というのが誰か、どうもはっきりしない。固有名詞ではなく天皇の傍にあって祭祀をつかさどる女性のことで、手元の版の脚注では舒明の娘間人皇女に当てているが、このころ皇女はまだ幼女だったとのこと。また、天皇以外の皇族の歌であれば、題詞は「御歌」となるのが普通だそうだ。
ともあれ、一見のどかな皇族と大宮人の遊びの風景を読んでいるようだが、この歌の詠まれた時代は決して「のどか」ではなかった。
蘇我氏の専横が目立ち始め、やがて大化の改新へ。その後、舒明の子天智の代には半島情勢が悪化。百済の遺民を支援する倭国は新羅・唐の連合軍に白村江で大敗し、倭と友好な関係にあった百済は滅亡する。以後倭国は大国唐の影に脅え、防人を設置する一方で唐との国交を図って行く。この題歌の後わずか数十年の間に、倭国は古代的な氏族社会から律令体制への転換を余儀なくされ、人々の生活も激動にさらされた。
今回の詩では、上の様なことを念頭におきつつあまりそれに捕らわれ過ぎないように、当時の倭国に良く似た風俗・良く似た時代の何処かの国の、皇族・豪族たちの遊猟の風景を紡いで見た。
白川静先生のファンとして、「遊猟」の「遊」つまり「遊び」に抱くイメージは、神の行なうところであり、人が行なう場合は神事となる。野の獣を含む自然神の出遊であり、狩であり、軍事的示威行動であり、或いは軍事訓練にも通ずるかも知れない。そして「狩」そのものも誓約(うけひ)であり魂振りであり、国の行く末を占う意味を含んでいたかも……。
「踏む」には「獲物を追い求める」という意味があり、「哮ける(たける)」は「鋭く叫ぶ」、「ますらを」は「上代の宮廷に仕えた官人」、「かぎろひ」は「暖かい日などに光がゆらゆらと見える現象、陽炎」だそうだ。
「春宴」について
お題は万葉集1433(巻八)大伴坂上郎女。
「うち上る左保の川原の青柳は今は春へとなりにけるかも」
口語約すると「私が遡って行く左保川のほとりの青柳は今は春の頃になっていたのだなあ」と言ったところか。ただし、「うち上る」は一説によれば「左保」の枕言葉だとも聞く。
左保の地で開かれた宴で読まれた歌らしい。
作者の大伴坂上郎女は大伴家持の叔母で家持の正妻・坂上大嬢の母。万葉集に単・長歌合わせて84首を残している。生涯に三人夫を持つが、三人ともに死別し、後半生は妻を亡くした異母兄・大伴旅人のいる太宰府に下向するなど、大伴家の家刀自として生きた。帰京後は屋敷のあった左保で暮らしたとか。
彼女の歌にはのびのびとした明るさやユーモアを感じさせられるものがある。この題歌からも楽しい春の宴に良く似合う爽やかな印象を受ける。
今回は「春の宴」、「川を遡る」、「川岸には芽吹き始めの柳」といったイメージをつなぎ合わせて思いつくままに書いてみたら、粋狂にも雪解けで増水した春の川に舟を浮かべて、その上で暢気に宴を張りつつ流れを遡って行く、人ならぬ者たちの詩になった。タイトルもずばり「春宴」
「芳気(ハウキ)」は香気、「羅帷(ラヰ)」は薄絹の帷(とばり)、「萍桂(ヘイケイ)」は日と月、また時の経過、日月をいうそうだ。
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