2011年3月の御題について

「熟田津<にきたつ>」の御題は万葉集8(巻一)額田王
「熟田津に船乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出でな」

口語訳すれば「熟田津の港を船で乗り出そうと月を待っていたら、潮もちょうど良く満ちてきた。さあ、今は漕ぎ出そう」といった所でしょうか。大きな景色と厳かな響きを持った美しい歌ですが、額田王の数ある歌の中で、実はこの歌だけは好きになれません。

何故かといえば、この歌が、民を朝鮮半島での唐・新羅連合軍との戦争に向かわせた歌だからです。滅ぼされた友好国・百済を救援・再興するため、と言えば聞こえは良さそうですが、勝ち目のある戦ではありませんでした。送り出された彼らはやがて白村江で悲惨な大敗を迎えます。しかも、参戦を決定した中大兄皇子と母・斉明天皇も、斉明の御言持(みこともち)を務めた額田王も、九州までしか行かないのです。

国を束ねる立場の者が最前線に出ないのは当たり前かも知れませんが、どうもこの歌は私には、「ろくな危機管理もせずに自らは安全なところにいて人を死地に追いやる言葉」と響きます。

そのような状況で、民たちは、何を心に抱いて戦に赴いたのだろうと想像すると、やはり、故郷や家族、親しい人たちだったのではないでしょうか。

熟田津と同じことは日本が「近代国家」などというものになってからも、時折起こっているのに気づきます。
いつか私自身も「彼ら」の立場に立つ時が来るのかも知れない、そんなことがふと心をよぎることもあるこの頃です。

「竜吟(りようぎん)」は「竜の鳴く声、笛などの音のたとえ」だそうです。

「早蕨」は仲春の季語です。北国のこの辺りの森では、雪が解ける4月・5月から蕨摘みが楽しめるようになり、季節が歳時記に急速に追いつき始めます。