2011年4月の御題について

「萬夜<よろづよ>」の御題は万葉集1873 (巻十)出典未詳
「いつしかもこの夜の明けむ うぐひすの木伝(こづた)ひ散らす梅の花見む」

口語訳すれば「早くこの夜に明けて欲しい。鴬が木から木へ、枝から枝へ飛び移りながら散らす梅の花を見たい」といった所でしょうか。巻第十の春雑歌の中の、「花を詠む」と題された何首かのうちの最後の歌です。短いはずの春の夜も、待ち遠しい思いで待っているとなかなか明けないものなのでしょうか。

うたのイメージの初めは、「待ち焦がれる『春の長い夜』の夜明け」でした。
当初はもっと「楽しい春のうた」を書きたかったのですが、何故か何とはなしに、(今世の中に大きく影を落している事故が例え起こっていなかったとしても、)このまま行けば遠い将来いつか必ず無視できなくなりそうな問題が心に浮かびました。

根本的に処理することができず、蓄積され、半減期にしたがって減る以外にはただ残り続ける一方の「毒」。
それらを押し込められる場所が、いよいよなくなったとしたら。
そんな時代に、訳あって自らアンドロイドになった主人公は、かつての「美しい春の風景」を再び見る日を待ち望む……。

このうたは、そんな妄想が暴走して生まれた白昼夢のようなものです。
菜の花畑が出てくるのは、以前土壌除染のために菜の花栽培が有効だという記事を読んだ影響(と私の趣味)ですが、このような時代が本当に来たら土壌微生物を含めた世界の生態系がいったいどうなってしまうのか、正確に想像するだけの学識は私にはありません。ただ、根拠が無いとは思えない危機感があります。
そんな訳で、私のうたでは大昔を扱うことの方が多いのですが、今回は何やら未来SF(?)調になりました。

「偃(のきふ)す」は「仰向けに寝る」、「臥病」は「病で床につくこと」、「末野」は「野末、野の果て」の意です。

「春日傘」は晩春の季語です。日焼けするとシミやそばかすの出来やすい私は、昔から日傘が好きなのですが、北国では、日傘を差したくなるくらい陽射しの明るい頃になると、自然心も浮き立ってきます。