2011年10月の御題について

「客人<まれびと>」は敬愛する白川静先生のご命日に向けて書いたうたです。
御題は万葉集88(巻二)磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)
「秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我(あ)が恋やまむ」

巻第二の冒頭、「相問」の頁に並んだ同皇后の歌4首の内の1首で、口語訳すれば「秋の田に実った稲穂の上にかかる朝霞。それがなかなか晴れないように、私の貴方への思いもいつになれば止む時が来るのでしょうか」といったところでしょう。

この歌を白川静先生は『初期万葉論』の中で「もとは挽歌であった」と書かれています。愛する人ヘの想いを詠う歌には、もとは死者の魂を呼ばい懐かしむ挽歌から借用されるようになった表現が沢山あるということなのでしょう。古事記には嫉妬深くて情の強い女性のように描かれている磐姫皇后ですが、その作とされているこの歌からは柔らかな哀感が感じられ、恋歌としても、亡き人を慕う挽歌としても受けとることができそうです。

大事な人が永遠にいなくなってしまったら、「その哀しみはいつになれば癒えるのか」。問いを投げかけられた気がしてつらつら考えたことは、「そんな哀しみは一生消えないとしても不思議はないな」ということでした。初めの頃の身を内側から刺されるような急性の痛みがずっと残るかとか、その哀しみの前に立ち止まってしまうかは、また別の話としても……。

叶うことなら、誰か痛みを持った人が、それを少しずつ癒しながら生き続けるために、無心の生命の行き交う清い水辺にこれからもあり続けて欲しいと思います。

芒(のぎ)は「稲や麦の穂の先端の堅い毛状突起」、「泥む(なづむ)」は「はかばかしく進行しない、行きなやむ」、「羅袖(らしう)」は「薄絹の袖」、「紛ふ(まがふ)」は「入り乱れる、入りまじる」だそうです。

「紅葉」は晩秋の季語です。